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ターニングポイントは手作りジャム

第2章 創業の原点

そんな失意のなか、まゆみ夫人が飯山市の農園さんからりんごやあんずを安く分けてもらってきました。
地元の農家さんとの交流から季節ごとにおいしい果物が収穫されることを知ったまゆみ夫人は、地元の新鮮なりんごを使って、砂糖を極力抑えた無添加のジャムをつくりました。
ペンションの朝食に出したところ評判を呼び、宿泊客から「作り方を教えてほしい」「わけてくれないか」という声が相次いだのです。はじめのうちは無料で分けていたのですが、注文も多くなり、きちんとした対応が必要になりました。

このため、久世は手作りジャムの本格的な商品化を計画。ペンション経営の傍らジャムの製造販売業をスタートさせました。商品開発はまゆみ夫人、営業と配達は久世が担当。工場はペンションの厨房、倉庫はジープの荷台というささやかな規模でした。

ペンション久世のジャムは新鮮なりんごと少しの砂糖で作られました。ですから、そのジャムには豊かな風味と鮮度がありました。それまでJAS(日本農林規格)では糖度65度以上のものを「ジャム」とし、まゆみ夫人のジャムは最初から50度~55度のものばかり。規格外で「ジャム」と名乗れず、独自に「生ジャム」というカテゴリーを設定しました。

ところが、お客様の健康志向のニーズからジャムの低糖度化が歓迎され、まゆみ夫人の手作りジャムは信州産のお土産としてヒット商品となりました。まもなく、信州中野市に小さな倉庫と事務所を借り、まだ自社工場などなかったので、地元の工場へ信州産の原料を持ち込んでジャムを作ってもらうようになりました。

ブランド名は夢を込めて「斑尾高原農場」(※まだ農場はなかったのですが)と名づけました。サンクゼールのジャムに対する姿勢はこの頃培われました。ジャム作りの過程は、果実に砂糖を加えて煮詰め、それを瓶に詰めるというこの上なくシンプルなものです。「合成保存料や着色料を加えず、製造工程を厳しくチェックし、できあがった製品の品質管理をきちんとする…」サンクゼールのこの姿勢は、ジャムを手作りしはじめた最初のひと瓶から変わることがありません。

本格的に商品化したまゆみ夫人の手作りジャムは徐々に市場に広がり、久世はジャム作りに専念する決断をしました。ペンション経営をやめ、資本金500万円で(株)斑尾高原農場(現社名・(株)サンクゼール)を設立。時に、1982年(昭和57年)6月のことでした。

※1987年JAS規格は改定され、ジャムは糖度40度以上とされました。
サンクゼールのジャム作りが日本のジャムを変えたと考え、それは私たちの誇りでもあります。

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